風の村花日記

浅野史郎さん入院!

前宮城県知事で慶応大学教授の浅野史郎さんが急性白血病で入院なさいました。あまりに突然のことで言葉がありません。
浅野さんには、風の村に2回来ていただいたことがあります。
最初は、2000年、風の村のオープン記念式典、そして、2回目は、その2年後、幕張でユニットケア全国セミナーが開催された際、八街まで足を延ばしてくれました。
浅野さんと出会ったのは、彼が厚生省の生活課長だった時です。当時、私が専務理事を務めていた生活クラブ生協千葉の理事研修にお出でいただいたのです。養老渓谷での1泊研修に朝まで付き合っていただき、宴会で大騒ぎをしたことを覚えています。
気が合ったというのは、私の勝手な思い込みかもしれませんが、以後、東京や千葉で一杯やることが何度かあり、彼が宮城県知事になってからは、仙台に用事があるときは連絡し、そのたび、いろいろな所に連れて行ってもらいました。
浅野さんは、現在、団塊世代の地域デビューを応援するNPO,地域創造ネットワークジャパンの代表を務めていますが、私も常務理事として活動を共にしています。
これからも長いおつきあいをさせていただきたい大切な、大切な先輩です。
突然の報に、本当にびっくりしています。
浅野さんの快復には骨髄移植が必要です。下記、南高愛隣会のHPでドナー登録のお願いをしています。是非、ご協力ください。
http://www.airinkai.or.jp/


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# by toruikeda | 2009-06-06 23:28

風の村の歴史 3

 外山先生との出会いがなかったら、風の村が全国から注目される特養になることはあり得なかったと思います。アドバイザーとしてご出席していただいた最初の建設準備会で、講演をしていただきました。外山さんは「多床室で、人間としての尊厳を奪われ、自尊心や羞恥心を持ち続けることができなくなるような苛酷なケアを受けた入所者が自分の身を守る方法は何だと思いますか」と私たちに問いかけました。十数人いた参加者が考える時間が与えられたこと、しかし誰も答えが思い浮かばなかったこと、やがて外山さんがおもむろに「それは、呆けることです」と、言われたこと、10年以上前の、その一連の光景を、私は今でもはっきりと覚えています。
 衝撃でした。それは、科学的な証明が不要な確実なことに思えました。
前回書いたように、私が高齢者介護の事業を行なってきた15年近くの間、大熊由紀子さんの「「寝たきり老人」のいる国いない国」で感じた北欧と日本のあまりの落差への憤りと、外山さんのこの一言の衝撃が、私を支えてくれたと思っています。
 私たちは、その後、全国数十箇所の施設を見学するのですが、浴室の前に裸にされバスタオル一枚のみ掛けられて縦列で順番待ちしている車椅子の入所者や、ベッド上でカーテンもされずにおむつ交換される人を見てきました。「呆けることで自分を守る」外山さんから聞いた言葉が、時を経るに従い、実感になっていくのです。


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# by toruikeda | 2009-06-05 21:47

川瀬敏郎

 私が花を好きになったのは、川瀬敏郎という人に出会ったからです。出会ったといっても、直接お会いしたわけではありません。テレビ、書籍等で一方的に知っているだけです。簡単に言うと熱烈なファンということです。
 彼の花の写真集を初めて見た時は衝撃でした。一部の隙もない緊張感が漲り、写真にもかかわらず、その場の張りつめた空気が伝わってきて、圧倒されました。「花にこんなに力があるなんて」驚きでした。以後、他の華道家の展覧会や写真を見ますが、その誰とも、彼は違います。大げさにいえば、命を賭けて花と向き合っていると思えるのです。その厳しさが、たった一輪投げ入れられた花にも感じられます。
 いつか、そんな花を生けてみたいと、かなわぬ夢を見ています。
 ↓ をクリックすると川瀬敏郎さんのHPが見られます。

http://www11.ocn.ne.jp/~kawase/


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# by toruikeda | 2009-06-03 01:04

今日の花

 今日は、妻と2人で風の村に行ったのですが、私は会議があったので、花を生けたのは妻です。
来週、再来週と、土日に仕事が入っているので、私が生けることができるのは、かなり先のことになりそうです。
 会議というのは、印旛ふくしネットワーク総会でした。風の村をはじめ、印旛地域の4つの施設で、地域ネットワーク型オンブズパースンシステムをつくっています。利用者の権利擁護のために、毎月オンブズパースンが施設を訪問し、利用者の声を聴き、施設運営の改善を図る仕組みで、8年間活動を継続してきました。福祉施設は、苦情解決のために第三者委員を設置することが義務付けられていますが、施設側が第三者委員を選任するため、利用者の権利擁護よりも施設の利害が優先されがちになるのではないかと考えて、この仕組みをつくりました。
 昨年、千葉県庁に「福祉オンブズパースンシステム研究会」が発足し、来月、その最後の会議が開催されます。これまでの研究会の議論から、来年度以降に、県が関与した新たなオンブズパースンシステムができるのではないかと思います。そうなれば、施設利用者の権利擁護が飛躍的に進むことになります。

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白く見える花は芍薬です。実際は、ピンクいろです。枝はブルーベリーです。孔雀草も入っています。

今日の花_f0203118_2313498.jpg

エレベータ横には、銀色の箱に赤のバラを埋め込みました。写真では色が褪せて見えますが、実物は、黒味を帯びた深紅のバラです。葉っぱは鳴子百合。

今日の花_f0203118_2315441.jpg

玄関には、同じ真紅のバラとサンキライを生けました。

今日の花_f0203118_2321245.jpg

会議室前には、先週使ってまだ元気だったユリをメインに、ちょっと変わったガーベラ、かすみ草、鳴子百合の葉を入れました。


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# by toruikeda | 2009-05-31 23:18

風の村の歴史 2

 「おらはうす宇奈月」の印象は強烈でした。特養に抱いていたイメージとが、およそかけ離れていました。
自分たちがつくる高齢者施設のモデルがここにあるという思いでした。私は、設計した人にお会いしたいと強く思い、施設長さんに、設計者のお名前をお聞きしました。教えていただいたお名前が、外山義さんです。
 当時、外山さんは、早稲田大学の近くにある厚生省の医療・病院管理研究所の研究室長をなさっていました。
 外山さんに、手紙を出しました。おらはうす宇奈月を見た感動と、私たちの高齢者福祉施設建設準備会のアドバイザーになっていただきたいという、自分で言うのもなんですが、かなり熱烈なラブレターでした。会っていただけることになり、研究所に出向きました。アドバイザー就任を快諾いただいた時の感激は今でも忘れることができません。
 ラブレターといえば、私は、外山さんに出会う3年前に、もう1通、ラブレターを書いています。宛先は、朝日新聞の記者、論説委員を経て、現在、国際医療福祉大学大学院教授の大熊由紀子さん、通称「ゆきさん」です。ゆきさんの著書「「寝たきり老人」のいる国いない国」(ぶどう社)に、私は大きなショックを受けました。
 介護が必要な高齢者の暮らしぶりにこれほどの格差があるなんて… 北欧と日本の高齢者福祉のあまりにも衝撃的な格差に、言いようのない怒りを感じ、自分の進むべき方向がはっきりと見えてきました。
 ゆきさんとの出会い、そして、外山さんとの出会いが、今の社会福祉法人生活クラブの原点です。外山さんは、風の村が完成した2002年、52歳の若さで亡くなられました。
 ゆきさんは、現在に至るまで、私の大切な師です。


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# by toruikeda | 2009-05-28 22:13



社会福祉法人生活クラブ理事長の日記

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