昨日、柏介護ステーションから旭にボランティアに行った梅津さん、酒巻さんから、以下の報告が届きました。
「8:30に到着、すでに受け付けは長蛇の列。昨日は1200人の参加があったとのこと。「5人以上で団体受け付けができ、すぐに登録できる」と、声をかけられ急きょ見知らぬ方とグループを組み登録を済ませる。さらに、被災者からのボランティアニーズに沿って、要請に応じた人数のグループになり依頼者宅に向かう。10時近くであった。 自分たちは 徒歩で行ける場所だったが、ボランティアの送迎車で向かわなければならない所もあった。横根の被災地は海抜の低いごく一部の区間であったが、1階の天井まで泥で汚れた跡があった。被災者からのニーズをリーダー役の人が聞き取り 指示をだす形で作業を進めた。被害にあった家に、住めるか住めないかに関わらず、まず後片付けをしなければならない不安やストレスがあることを、家主を始め被災していない地元の方々からも感じた。今後も ニーズに合わせて活動できるように連携を取っていきたいと思った。」 以上、 #
by toruikeda
| 2011-03-21 13:09
生活クラブと親しくしている社福福祉楽団の飯田さんが福祉系MLに以下の通りさいたまス―パアリーナの状況を報告していました。飯田さんと相談し、明日以後、風の村での受け入れを検討していきます。
> みなさんへ > > さいたまスーパーアリーナの状況です。 > 本日、私も含め「杜の家やしお」の社会福祉士3名で現地に行ってきました。 > 医師の回診や、弁護士、社会福祉士などが活動をしていました。 > > > 在宅で、介護をしていて避難してきた人には大変な環境だと思いました。 > 避難所で、おむつ交換をしていた人や、認知症で徘徊がある人など > 当施設で緊急と判断した方5名プラスその家族2名を受け入れました。 > 1名は脱水からか発熱しており、生命の危険を感じました。 > > > 相談活動やアセスメントなどは、人手もいて比較的できていたと思いますが > アセスメント後のサービス提供がありません。 > 介護事業所で活動していたのは、今日はうちだけでした。 > 相談、アセスメント後のサービスがないと意味がないと、改めて感じました。 > 医師も回診しにくるのですが、その後、どうしようもないので > そのまままた巡回していくだけです。 > > > 行政は、ほとんど機能していません。 > 被災自治体はもちろんですが、 > 埼玉県、さいたま市とも、介護事業所とのコーディネイト役は期待できません。 > > > 避難所には、まだ高齢者が多くいます。 > 避難生活が続くと、2~3日で急激にレベルが低下してくると懸念される方も > まだ複数いました。 > 今後、予想される避難所の移動に耐えられるとは思いません。 > > > 施設への緊急入所が必要だと思われる方も、まだいますが > 「町の人と離れたくない。」 > 「家の年寄りだけほかのところへ行かせるのは忍びない。」 > との理由で、今日は施設入所を見送った人もいます。 > ただ、本人の状態の変化によって、本人、家族とも心境の変化があると思います。 > > > さいたま市内の特養では合計で100名くらいの受け入れが可能なようですが(さいた > ま市当局の情報) > コーディネートがうまく機能していないので > 緊急入所にはつながっていないようです。 > > > ここは、社会福祉法人が県や老施協などに関係なく > 独自に動く必要があると思います。 > ぜひ、近隣の関係者のみなさま現状の確認だけでもお願いしたいです。 > > > 介護福祉士会のみなさん > 大きな避難所などで、仮設のデイサービスを開設できないでしょうか? > 要介護者を抱えている家族は、それで日中の時間が自由になれず困っています。 > 今日は、介護福祉士会の活動は見られませんでした。 > #
by toruikeda
| 2011-03-20 21:52
今日は、風の村から3人、柏介護ステーションから2人が旭にボランティアに行ってくれました。
以下は、風の村の伊藤さん、同じく作田遥さんからの報告です。 柏介護の職員からの報告は明日掲載できると思います。 只今風の村に到着しました。旭市に到着したときは、どこに被害があるのか分からないほど、お店が開いていました。しかし海沿いに近づくと家屋が津波によって倒壊していたり、道路が陥没していたり、ガードレールが津波で壊れていました。 ボランティアの内容は津波によって被害を受けた、家の家具や砂の撤去作業を行いました。いざ作業を始まると、何処から手をつけていいか、分からないほど被害がありました。家の持ち主の方が自分の家の家具や砂の撤去作業をしているのを見てどう思ったかと、色々考えてしまいました。 作業はとても大変で、冷蔵庫、テレビなど運び、なかでも、畳が海水を吸い一番重かったです。作業時間はボランティアの方が2000名近く集まった、おかげで12時~15時までの作業でしたが、その三時間でボランティアの方と、作業も無事に終わり、とても大変でしたが、道で会う人に「ありがとうございます」と言われボランティアをやって良かったと思いました。 伊藤仁志 飯岡に到着すると、各地からあつまったボランティアの方々がすでに列になっていました。地元の高校の野球部の少年達、同じ八街から来たという若い人のグループ…。様々な方が被災地の力になる為に集まり、スタッフさんは地域のニーズに応えられるように懸命にボランティアのコーディネイトをしていました。5人で班を作り、合計30人でグループとなって現地へ出発しました。 私達が向かったのは海岸沿いの道路から50mくらい入ったところにあるお宅でした。玄関も他の扉も砂や中の物がひっかかり開かない状態。外からこじ開けると部屋の中は物がぐちゃぐちゃに泥にまみれており、”広かった”という庭にはどこからきたのかわからない屋根がありました。家主の希望は"遺影をとってきてほしい"。高齢の女性の方でした。奥の部屋にかけてあった遺影はなんとか波が届かなかったようで、そのままの状態で家主の元に渡りました。 大きな家具を撤去し、泥の中から物を拾い上げていると、写真や仏壇のもの、何かの記念と思われる物などがありました。泥にまみれ、捨てられる一見ごみに見える物は、その家庭の方達が長年そこで生きてきた思い出の品でした。…言葉が出ませんでした。ふと手に取った箱には、水に濡れてはいましたが大事にしまわれた巻物が入っていました。家主とご家族に見てもらうと「これ、言ってた掛け軸じゃない?」「あ~そうそう。持っていきます。」と鞄にしまっていました。私があの時無造作に捨ててしまっていたら、家族には還らなかったのかな、と思ったら自分の手に持っているものの重みを感じました。 作業中、窓から隣の家の様子が目に入り、そこでは被害は受けているものの、家具もあり、電気も通っていました。作業メンバーと、この家と隣の家の何が違うんだろうね、と小さくつぶやきました。 作業をすること3時間。どこから片づけていいのかわからないような状態だったお家は、家の中の泥も掃き出され、庭の屋根も撤去されました。人間の力ってすごいな、と思わずにはいられませんでした。 災害はいつどこで、誰が被害にあうか全くわからないものだと、今回ほど考えたことはありません。被災地の復興と、被害にあわれた方の日常が早く取り戻されることを強く願います。 作田 遥 #
by toruikeda
| 2011-03-20 21:29
何時間か、アクセス不能になっていたが、復旧した。
全国コミュニティライフサポートサポートセンター(CLC)が、東北関東大震災・共同支援ネットワーク を設置し、支援物資、ボランティアの募集を始めました。 http://kyoudounet.jugem.jp/ 物資については、もう少し詳細を確認して必要なものをできるだけ確保して送りたいと思いますが、ボランティアの派遣を始めて行きたいと思います。 現在、職員で1週間単位でのボランティアを申し出ている人は11人です。 2~3人単位で連続して派遣してければと思っています。 同一事業所で同時に2人は難しいと思いますので、他事業所職員と組み合わせます。 まずは、それぞれの派遣可能期間をご連絡いただき、その中から、調整して組み合わせを作ります。 足ですが、昨日から、東北急行バスが東京ー仙台ルートの営業を再開しています。 しかし、予約は難航するでしょう。 別の方法も含めて、検討します。 #
by toruikeda
| 2011-03-19 23:08
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