風の村花日記

光州詩片

 パキスタン、カラチにいる友人から年始の挨拶メールが届き、その中に 金時鐘の詩集「光州詩片」の冒頭詩が引用されてあった。

私は忘れない
世界が忘れても
この私からは忘れさせない
          
この詩集は、1983年に発表された。3年前の1980年5月、当時は「光州事態」と呼ばれた騒乱が光州に起こった。(全斗煥政権下で起きたこの騒乱は、以後の軍事政権下では「内戦」とされたが、93年に発足した金泳三文民政権によって事件の見直しがされ、「光州民主化運動」と呼ばれるようになった。)詩集は、日本に住む著者の光州事件への思いを綴ったものだ。
YAHOO百科事典によると、「事件の犠牲者は公式発表では官民あわせて死者191人、重軽傷者852人とされているが、死者だけで2000人を超えたとの説もある。」
私は、10年ほど前に光州を訪れたことがある。案内してくれた地元の青年は、犠牲者が眠る広大な墓地を案内してくれた。少なくとも彼は、その墓地の埋葬者はすべて光州事件の犠牲者だと、私に説明した。そこには、191などという数字ではありえない、膨大な墓石が整然と並んでいた。
 20年近く経っていたにも関わらず、彼にとって光州事件は、未だ「現在」であった。事件当時、高校生だった彼は、「自分は生き残ってしまった人間だ」と呟いた。
私がその地を訪れたのは、この地にできた廃油リサイクルのせっけん工場を見学し、その運動にかかわる人たちと交流するためだったが、彼とともにせっけん工場づくりにかかわる仲間も、全員がそれぞれの「光州事件」を背負って環境運動に取り組んでいた。
この経験は、私にとっての「韓国」に大きな影響を与えることになった。
彼の名は、金江烈。大切な友人だ。
by toruikeda | 2011-01-17 20:23
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社会福祉法人生活クラブ理事長の日記

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