風の村花日記

二分脊椎症と私 6

月刊「地域闘争」が創刊された1970年から、私は、その関東編集局の事務局員になりました。どういう経緯でそういうことになったのか、はっきり思い出せないのですが、とにかく、ただでさえ大学にあまり行かなかった私は、この役割を担うことになってからは、いよいよ学校が遠のき、1年目は病気入院で休学したのですが、2年目のこの年も留年となってしまいました。
「地域闘争」の事務局員になったことから、前々回紹介した学生寮を出て、千歳烏山に構えた事務所に引っ越しました。「地域闘争」関東編集局の住み込み事務局員になったわけです。
余談ですが、その事務所兼住まいは、私が引っ越す数年前まで「ザ・タイガーズ」のメンバー全員が住んでいたアパートでした。8畳と4畳半の二部屋、8畳の部屋には作りつけの2段ベッドがありました。タイガーズのメンバーって4人でしたっけ、5人かな。4人か5人が住むにはめちゃめちゃ狭いところでした。ブレークする前の数年間、ひしめき合って暮らしていたのですね。
私は、そこに一人で住んだのですが、「地域闘争」関係者が入れ替わり立ち替わり出入りし、泊って行きましたから、一人で寝ることのほうが少なかったように思います。
その雑誌で「生協」を特集することになり、つてをたどって生活クラブ生協(東京)の当時の理事長に取材に行ったのが、私の人生の大きな転機になりました。
by toruikeda | 2009-08-04 23:59
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社会福祉法人生活クラブ理事長の日記

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